浄土宗聲明の概説
声明とはインドから中国を経て日本に伝承された仏教古典音楽であって、「南無阿弥陀仏」という名号や経文の一節に曲節をつけて唱える偈頌をいいます。偈頌とは偈ともいい、梵語ではgatha頌と訳し、経及び論などの中に詩の形で仏徳を讃嘆し、教理を述べたものをいいます。インドの詩型では梵讃、中国の詩型では漢讃があり、日本の和讃等も声明を意味します。このように声明は仏教儀式の時に唱える声楽のことなのです。この声楽家たちのことを声明衆といい、声楽家のことを声明師、あるいは唄師と呼んでいます。
私たち声明愛好会が所属する縁山流を例に取ると、縁山流とは、芝増上寺の山号が三縁山なので、それを略して縁山と呼び、その流れを縁山流というのです。増上寺は徳川家の菩提寺として江戸時代に隆盛を極め、浄土宗の大本山となりました。それにともない縁山流声明が盛んとなったのです。しかし、徳川家の政権交代と共に、また明治の廃仏により一時は声明も衰微しましたが、増上寺山内・安養院住職千葉満定師等の努力により、法然上人七百年大遠忌(明治四十四年)を期として声明の復興が図られ、声明の研究錬磨が盛んとなりました。しかし第二次大戦後のどさくさの空白時代には、伝承者の唄う機会が少なかったり、世の中のスピード化と共に、その法要形態が簡略化されるようになり、あるいは声明の一部が全く唄われなくなったり、あるいは前半の部分だけが唄われるようになり、忘却した部分が多くなりました。しかし近年になって再び声明の復興が叫ばれ、また日本の音楽の歴史の上では、仏教音楽から他の音楽が派生していったのですが、それが黛敏郎氏等の音楽家たちの注目するところとなり、国立劇場での天台、真言、浄土等の声明の公演が実現され、また日比谷公会堂において、浄土宗の声明が発表されるようになりました。今や若手が多く胎頭したとはいえ、数多くの曲目を一人で唄える伝承者の数はわずかで、若手の人達のなお一層の努力が叫ばれています。以下浄土宗声明の歴史及び声明の理論と実際について概説するとともに天台声明伝承の祖山流、十夜法要と引携阿弥陀経の鎌倉流、縁山流声明の成系過程について、さらにはCDに吹き込んだ声明の一つ一つについて解説してみたいと思います。